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6/24の授業へのコメント

Kくん: いつの時代、どこの国でも、多くの、あるいは一部の人々が共有しているタイムリーな不安を利用し、あるいは煽って敵を仕立てることによって国家(多くの国民)を一方向へのベクトルにまとめあげて強くさせる。そうして自分達を守ろうとするというのは人間の悲しい性なのかと思います。(そこから抜け出そうとすれば、コナー警部のように扱われてしまうし。)結局のところ、それは大義名分をつくろっているに過ぎないのに。過去の歴史や今の世界情勢がそれを物語っていると思います。小さな世界、教室の中で起こるイジメも同じことです。群集心理とは怖いものです。一番怖いのは、自分がその中にいるということに気付かないで生きることだと僕は思うけれど。

大脇:私の言いたかったことをほぼそのまま代弁してくれているかのようなコメントです。次回の授業(7/1)は、この問題について、クラスの一人一人みんなにさらに深く考えてもらえるようなものにしたいと思っています。

Nくん: 最近、というかここ数年、いわゆるハリウッド映画を見ていない。いい加減な設定で、描かれる側の立場を全く考えていない。メディアの一発信源であることを自覚していないのではないかと思う。

大脇:このコメントを受けて言いたいことが二つ。まず、「ハリウッド映画」を映画芸術として見たときの、好き嫌いについて。実は私も、数年前まではハリウッド映画はほとんど観ない派でした。もちろん一口にハリウッド映画と言っても非常に巨大な産業ですし、いろんな監督がいていろんな映画がありますから、中にはとても好きなハリウッド映画もありますが、先日の授業で見せた『ライジング・サン』のような映画(アクションものとかスリラーもの)や、戦争・アメリカ賛美映画(『パール・ハーバー』や『インディペンデンス・デイ』)は、ほとんど観ようともしませんでした。今でも、映画そのものとして観る際には、いわゆるハリウッド映画よりも、ヨーロッパやアジアのミニシアター系・インディペンデント系のものの方が好きです。
ですが、ハリウッド映画の影響の大きさを考えれば、アジア系アメリカ文化や、日米関係、そしてアメリカ文化そのものについての研究には、このアメリカの一大産業についての視点や分析は不可欠です。それに気づいてから、最初はあまり気が進まないながら、これまでは自分では観ようとも思わなかったジャンルのハリウッド映画も見はじめたのですが、実際に見はじめてみると、(映画そのものとしての完成度や芸術度は別としても)研究対象という視点から見れば、これらの映画が非常に興味深いものとして楽しめることがわかってきました。20世紀は世界的に見ても映像の世紀ですが、その最も端的で象徴的な例が、アメリカの文化・政治・経済においてハリウッド映画(産業)が果たした役割だと思います。アメリカという国は、ハリウッド映画とともにその国の形を作ってきたと言ってもいいかもしれません。
 で、Nくんのコメントに関して言いたかったことの第二点は、上記に述べたことともつながっているのですが、ハリウッド映画が「メディアの一発信源であることを自覚していない」ということはありえません。むしろその正反対です。そしてハリウッド映画産業の内部と外部両方に、その力を最大限に(政治的に)「利用」しようとする勢力が多数存在しているからこそ、「描かれる側の立場を全く考えていない」映画が多く生まれてくるのだと思います。

「他人事」?
Mくん:この映画は・・・アメリカ人たちに日本文化を教えている場面が多々あったが、かなり大げさに演じられていた。しかし、日本のイメージはこの映画みたいな感じであったのだろうと思い、昔よりは大分変わっているが、もう少し改善されていくといいと思った。
Tくん:1993年、日本経済の発展もあり、だいぶ日本に対する見方も変わってきている。ただ、まだ日本文化に対する敵意や理解不足が垣間みられる。私たちも本当に外国の文化を理解しているとは言いがたいが、映画として世界に発表するのであれば、しっかり勉強してほしい。

大脇:これはなんだか「他人事」のようなコメントですね(笑)。この二人に限らず、似たようなスタンスのコメントがこれまでにもけっこうあったので、この二人だけに言う訳ではないのですが、ハリウッド映画がアメリカの政治や、日米関係と密接な関係にあることを考えると、こんな他人事のようなコメントを言っている場合ではないと思います。ほんとに。
このブログサイトやこれまでの授業を通して私が伝えようとしてきた大きなテーマの一つは、ハリウッド映画(産業)と、アメリカ文化・政治・経済、そしてそこに描かれてきた日本像と、日米の政治・外交・経済関係とは密接に関係しているということ、そしてその歴史に学ぶことによって、今後の展望をどのように描いていくかを考えるようになってほしいということです。これまでの歪んだ関係を改善していくためにはどうすればよいのか、そのために自分は何ができるのか、何をすればよいのかを、一人一人が考えるようになってほしいのです。日本文化がハリウッド映画に戦後何十年たってもまだこのように描かれていること、言い換えれば、アメリカ人にとっての日本文化のイメージがこのようになかなか変化しないということ、それはつまり、アメリカ人の日本のイメージを一新させるほどの情報発信を日本がしてきていないということでしょう。これまで、アメリカ側の情報やヨーロッパの情報を一方的に受信し、咀嚼し、catch upする方にばかり回っていた日本は、今ようやく世界に向けて情報発信をする道を模索しはじめたばかりのように思います。ですので、「改善されていくといいと思う」ではなくて、「どうすれば改善できるのか」を考え、発信できる人間になってください。横国大の経済学部を卒業するみんなのなかには、近い将来、国の経済政策決定、経済法の立法やその運用、海外進出する企業の方針決定や海外先での任務などに関わる人も少なからず出てくると思いますので。

by mowaki93smile | 2005-06-26 11:41 | 比較文化・授業へのコメント  

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