まず私(大脇)から一言。最終回だったということもあり、たくさんの人がとても心のこもった、好意的なコメントを寄せてくれました。また、一年間の授業を通して、これまであまり考えたことのなかった問題や、何となく興味はもっていたけど深く知らなかった問題について知ることができ、考えるきっかけをもらったなどのコメントも非常に多く寄せられました。(←何より嬉しいです。)
みんな、どうもありがとう。
私自身も、この一年間を通じて、いろんなことを学んだと思います。特に、毎回の授業でみんなからもらったコメントから、本当に多くのことを学ばせてもらいました。それまで自分では気づかなかった視点や論点に気づかされたり、励まされたり、ときには耳の痛い批判的なコメントに反省を促されたり、・・・今、一年間を振り返ってみて、そうしたみんなのコメントすべてが、この授業の血となり肉となったのではないかという気がしています。みんなに書いてもらったあのA5判(?)の紙の束は、私の大切な財産になると思います。
毎回出席・コメントカードを集めるというやり方に戸惑う人もいるかもしれないと思ったのですが(そしてそういう人も実際いたかもしれないのですが)、一年を通じて、毎回真剣にコメントしてくれる人が非常に多く、これには正直なところ、新鮮な感動と驚きを覚えました。それで思ったのは、最近の若者や大学生はものをしっかりじっくり考えないとか、無気力だとか言われることも多いけれども、実際には、みんなそれぞれ、いろんなことをかなり真剣に考えているんだな、自分の伝えたいことをもっているんだな、ということです。このコメントカードを通じて、みんなの一人一人と(ささやかながらも)コミュニケーションができたのではないかなと思っています。
私が横国大にいられるのもあとわずかになりましたが、もし大学の内外で見かけたら、(よければ)ぜひ気軽に声をかけてくださいね。それから、2/10の期末試験が終わった後、残ってくれた人たちみんなと、お茶でも飲みながら(そしてそれ以降も残れる人とはお酒なども飲みながら)、ゆっくり話をする時間をもちたいなと思っています。残れる人は、試験終了後、5時頃に、図書館カフェ(かその周辺)で会いましょう。
それでは、ようやくここから、最終回授業でのみんなのコメントです。
N. Y.: 一年間お疲れさまでした。この授業で、「政治的」からみが何事にもあることが分かったことは衝撃でした。世の中をきれいに見すぎていたなと自分の甘さを痛感しました。アイデンティティという難しいテーマに大学に入って触れてこられたのもいい機会になりました。あと、普段は見ないような映画を見ることができてよかったです。僕は映画好きなので、一回、映画議論なるものをしたかったです。
Y. I.:文化とかアイデンティティという言葉に何となく興味を持っていたけど、この講義を受けるまでは、マイノリティの人々がアイデンティティを確立する具体的な話は少しも聞いたことがありませんでした。今日見たマーガレット・チョウにしても、今まで見て来たアジア系アメリカ人の人々も皆、それぞれに個性的でエネルギッシュで、とても素敵な人々だと感じました。文化を学んだり、人種について考えるには、実際に“人”を見ないとだめだなあと感じました。本を読んだりすることも大事だけど、音楽や絵画や小説などの作品に触れたり、それを発している“人”を感じることってとても素敵なことだとわかりました。一年間ありがとうございました。
T. E:一年間この授業を勉強して、アイデンティティやジェンダーといったものへの見方や認識を変えられた気がします。
K. F.:この一年間で自分が知らなかった様々なことを知れて、また生きる上で必要なことだと思うのでよかった。これからももっと世界中で起こっていることを知っていきたい。
R. O.:価値観も、言葉の意味も、考え方もすべてもともと正しい形があるのではなくて、つくられているもので、作り変えていけるものなのだと思った.
K. M.:この授業を通して自国の文化を客観的に見ていくことができたし、他国の文化や自国との違いなど様々な面から学ぶことができた。文化は人間によって作られた優れた面や醜い面など様々な性質を持ち、世界を形成して来た。文化を知ることはその国や世界の歴史を知る重要な手がかりであり、自分の考えを深めてくれる、自分にとってプラスとなるものであると思った。一年間ありがとうございました。
N. K.:一年間ありがとうございました。ひとつの概念について多角的な視点を持つことが出来るようになりました。人の気持ちや考え方を変えることはなかなか難しいけど、自分の考えは見直すことができると実感しました。社会の空気や常識、マスコミによる情報などに流されず、自分の目を信じて、世の中の出来事を判断する力が必要です。それを考え、今日見たビデオのように、自分を認め主張する姿が、一人の人として尊敬できると思いました。
T. K.:アイデンティティ・ポリティクスという言葉が、自分のなかにあったいろんなもやもやを整理してくれたように感じました。「沖縄」という概念にしばられつつも、それに違和感を持つこともあり、自分の中に2つの対立するアイデンティティが併存していることに気づきました。人種とか文化とかって、必ずしも対立するものではなく、個人の中に共存することもある概念で、そこが難しいところでもあり、マイノリティもマジョリティも引きつけるところだと思います。人種の壁をどこにおくのか、どこまでを含めるのかを定義することはできないから、ずっと続いていく議論なんだと思いました。とても深い内容で、大変だったけど、意味のある授業でした。ありがとうございました。
N. T.:映像を見せて「ここはこう」「ここはこういったロジック」という形式がメインだったように思います。バラエティに富んだ内容を紹介していただけたのは無論、有益なものでしたが、若干つまみ食い的になっていた観も… もっと先生自身のアイディア、お考えを聞いてみたかったです。挑発的に議論を吹っかけてみるのも楽しいかもしれません。自分のことで精一杯な試験期間中ですが、先生アメリカでもどうか御達者で。ありがとうございました。
大脇:むむ、痛いところを突かれましたね。そう、私も実はそのことが気になっていました。もともと、経済学部の学生に、「比較文化とアイデンティティ」というテーマで授業をするには、どうするのが一番いいかと考えて、あのような形式の授業にしたのですが、やはり指摘通り、多少つまみ食い的になってしまった観があるのは事実だと思います。具体例を紹介し、合わせてその背景についての知識や、その問題をめぐる理論や論争を理解してもらうという形式の方が、インパクトもあるし、学生のみんなに興味や関心をもってもらいやすいし、分かりやすいだろうという狙いは間違っていなかったと思うのですが、ただ、ケース・スタディを中心に進めたがゆえに、やはり体系的な構成というのからは少しずれてしまったところもあると思いますし、また、細かい点を落としてしまったところも少なからずあり、その点、反省しています。今後の課題です。(…とは言え、横国大の授業はこれが最後だったので、今後どのような形でこの教訓を生かしていくかは、まだ分かりませんが。)でも、貴重な意見を聞かせてくれてどうもありがとう。
H.J.:アイデンティティというのは国と国、民族と民族の間の違いだと思っていましたが、実際、一年を通して先生の講義、プリント、映画によって、アイデンティティに対する認識が180度変わりました。アイデンティティとは何かについての理解だけではなく、ナショナリズム、愛国心、マイノリティ、ジェンダーについても少し理解ができたと思っています。今はこういった言葉の定義について理解しているだけですが、これからもっと深く知りたいと思っております。この授業を受けて一番良かったと思うのは、物事を多方面から見ることの重要さを分かるようになったことです。心からこの授業を取ってよかったと思います。ありがとうございました。
Y. S.:この一年間「比較文化とアイデンティティ」という講義を通じて様々な例、映像作品、文学作品を見てきましたが、アイデンティティというものは、国や文化、そして個々人のレベルでそれぞれ異なるものであるので、アイデンティティに関わる議論はまだまだ尽きない、それどころかこれからもっと議論されていくのだということを一番感じました。性に関する議論も、はじめはLG
だけだったものが、最近ではLGBTIにまでなっているように、これからも増えていくのではないでしょうか。同時に僕自身もこの授業が終わっても考え続けていきたいと思います。
T.K.:広い世界で様々な新しい文化や考え方がどんどん生まれて来て、でもそれが世界中で共感や認識されるようになるという流れ自体は、(ジェンダーとか)、やはり人種や国が変われど、人間という枠組みは世界中で変わらないものなのではないかと思わせられた。争いや差別が依然消えなくても。
非常に興味深い授業でした。いろいろと、自分と自分との違い、今まで黙殺して来た様々なことを、この目と頭で感じ、一年前との成長(大げさかもしれませんが)を思います。僕は人間(自分)は変わらなければ、もう死んでいると同じと思っています。そして楽しかったです。ありがとうございました。
大脇:この授業を通じていろんなことを考え、一年前と比べて自分が成長したように感じるという感想、本当にうれしいです。ありがとう。これからもそうして、どんなことであれ自分のアンテナに引っかかったことや、おかしいと思うこと、黙殺してしまいたいと思うことから目をそらさずにじっくり考える習慣をつけていって、どんどん成長していってほしいです。(追伸:「自分と自分との違い」という箇所は「自分と他者との違い」というつもりだったのでしょうか? 授業の終わりに急いで書いたからだと思うのですが、文章の主述関係がちぐはぐになっている箇所や、前後の論理関係が今ひとつ見えにくい箇所がちらほらとあるのが少々気になりました。 試験やレポートのときはくれぐれも気をつけてください。)
Y.N.:一年間この講義を受けて、アイデンティティは、たくさんの要素があって成り立つものであり、人種や性差だけで作られるものではなく、ひとりひとり違うものであることが分かった。そしてアイデンティティは常に、変化していく。外的要因、内的要因問わずに壊され、再構築されていく。その度に自分が一体何者であるのか苦しんだりするが、M. Choのコメディを見ていて、それすらも笑いに変えられるような、強い人間になりたいと感じた。M. Choもここまで来るのに様々な困難があったと思うが、乗り越えた彼女がとても偉大に思えた。
S. A.:マイノリティーは社会的問題と言えるが、M.Choのコメディを見ていると、自らの告白によってその問題を表面化し、マジョリティにその問題を今日有させる個人的問題提起を活発に行っていかなければならないと感じた。
K. M.:この授業を一年間を通して、社会における様々な問題を知ることができ、非常に有意義だった。しかしこの知識を実際に自分がどう消化し、自分の行動にどう反映するかというのは、非常に難しいと思う。そのことは、実際に社会に出て、どういう形で社会にこの諸問題が存在しているのかを知った上で考え、行動していきたいと思う。
大脇:知識を実際に自分がどう消化し、自分の行動にどう反映していくか、それがとても難しいというのは真実ですね。そのことに気づいているだけでも一歩前進していると思います。社会に出てから、そうした問題が社会に実際にどう存在しているかを目の当たりにし、理解や問題意識を深めるということはもちろん十分ありうることだと思いますが、でも実は学生時代だからこそ、社会の矛盾に対して、より純粋な気持ちで批判していけるということも一方ではあります。そのことも心に留めて、学生である間にも、知識を吸収するだけでなく、それを自分自身の生き方にどう反映させるか、ということを常に考え続け、実践する自分であってください。
K. O.:M. Choのトークには、ステレオタイプなどをふまえた部分が多いが、注目すべきは、そのステレオタイプの部分を全て笑いにつなげていることだと思う。ステレオタイプを笑い飛ばして、それを差別している側の人も笑って、プラスのイメージ、もしくは「そんなことはなかったのか」というふうに思ってくれれば、差別は自然になくなっていくんじゃないかなと思った。
大脇:差別が「自然に」なくなっていくことは、残念ながらないと思います(M. Choのコメディや政治的活動などは、差別をなくしていこうとする「人為的な」というか、非常に「意識的な」努力だと思います−−ので、M. Choのような人物がアメリカで受け入れられ、その結果、差別がさらなる解消の方向へ向かったとしても、それは「自然に」なくなったのではなく、様々な人々の努力の積み重ねの結果だと思います。M. Choのような人物が生まれたその背景にも、様々な人々の歴史的な努力があるわけですし)。でも、ステレオタイプを笑い飛ばし、それを差別している側の人も差別されている側の人も同時に巻き込んだ笑いに変え、プラスのイメージに変えていく、というマーガレット・チョウのコメディのパワーの核心をしっかりとつかめている点は、非常に鋭いと思います。
Y. S.:先生—−お疲れさまでした。一年間にわたって経済学部でも(私が言うのも何ですが)異色な授業、大変面白かったです。
最後にChoのコンサート(?)。こういう女性がアメリカで活躍していて、それを知れただけでも、よい知識になりました。本当にお疲れさまでした!!
大脇:「異色な」授業という点、一応、褒め言葉として受け取っておきます(笑)。
まだまだ紹介したいコメントは多数あるのですが、とりあえずここでいったんアップします。
また後日、時間のあるときに少しずつアップしたいと思います。